邂逅と決意  作:kohtさん

 

ロンダルキア台地の北東部には広大な湖があり、そこに点在する小島を橋が繋ぐ事で道が出来ている。
その湖に浮かぶ小島の1つに、祠と呼ぶにはやや大きな、しかし祠としか形容し得ない建物があった。
ベラヌールを出発して以来の長旅と連戦に疲弊しきっていた3人にとって、その祠を見付けたという事は、自らの命運がまだ尽きた訳ではないという意味であるとも受け取れる。
また、祠に近付くと、煙突らしい部分から煙が立ち昇っているのが分かった。
それはつまり、祠に人がいるという解釈をして間違いないのだろう。3人としては、それが邪教徒ではない事を祈るばかりだ。

もょもと達を祠で最初に出迎えたのは若いシスターだった。
服装を見る限り、彼女の信仰の対象は邪神ではなく精霊ルビスであるらしい。それはつまり彼女が敵ではないという事でもあって。
安堵の息を漏らす3人を前にしたシスターはしかし、3人の満身創痍の様子を見るなり、小さな悲鳴を上げた。
その悲鳴が小さかったのは、「信じられないものを見た」という本能による反応と、「それを隠さず表に出す事は相手に悪い」という理性による反応が、無意識の一瞬にせめぎ合った結果なのだろう。
「あっ、す、すみません。中へお入り下さい。すぐに神父様を呼んできますから」
3人を見たままの状態で固まっていた自分に気付くと、シスターは詫び言を述べてから3人を祠の中へと案内した。
そのか細い声に弱気そうな印象を受ける所為だろうか。外見から察するに3人よりも少し年上なのであろうシスターは、その落ち着いた言動と裏腹にどこか頼りない。
近くの椅子に3人を案内するとシスターが奥へと走って行くと、すぐに忙しない足音が2人分になって戻ってきた。
そして、シスターに連れられて来た神父もまた、3人の様子に驚きを隠せないといった風だった声こそ上げなかったものではあるが。
無理も無い。
こんな所に来る事が出来る人間など、そう多くはいないだろう。
もょもと達から見れば、むしろこんな場所に人が居る事の方が不思議なくらいなのだが、当の2人は逆に、こちらを不思議がっている様にも見える。
その点は、お互い様なのかも知れない。

しかし、今は会話をする以上に大事な事がある。3人からすれば、会話をするだけでも辛いほどの状況なのだ。
そして、それを理解出来ない神父でもない様だった。
神父は様々な感情を押しやる様に、その場で3人に回復の呪文を唱える。
3人の傷が瞬く間に癒え、体力が回復する。同時に、今度はアイリンとすけさんが驚く番になった。
「悪いな、助かった」
自分の力が戻った事を確認するかの様に右手を握ると、神父に礼を言うもょもと。
しかしその傍らで、すけさんとアイリンは怪訝そうな顔をするばかりだ。
「え?」
「何、これ」
神父の詠唱は、傷を癒し体力を回復させるホイミ系の呪文の一種であるらしい。そういう事が、呪文の心得があるすけさんとアイリンには理解出来る。
しかし、理解が出来ないのはその先だ。
対象となる3人を一度の詠唱で同時に回復させる事が出来る呪文など、見た事も聞いた事も無い。
すけさんにとってはホイミ系中位呪文のベホイミ、アイリンにとってはホイミ系高位呪文のベホマが、ホイミ系の最高位となる呪文である。それらは共に、単一の対象に効果を及ぼす呪文なのだ。一度の詠唱で3人を対象に取る事は出来ない。
そもそも、ホイミ系の呪文で複数を対象に取る事が出来る呪文は、現存しないという認識が現状では支配的なのだ。
自国に大規模な魔法研究所を構えており、一国の皇女たる自らもそこでの研究に精通していたアイリンでさえ、理解の出来ない呪文であった。
それはつまり、この世界に存在し得ない筈の呪文であるという事にもなる。
しかしそれは呪文に通じている2人の感想であって、呪文には無縁のもょもとにとってはその辺り、特に思う事も感じる事も無い。
ただ、2人が何に驚いているのか分からないもょもとだが、そのもょもとはもょもとで、それとは別に、ある事に対しての驚きがあった。
「アイリン」
「な、何じゃ?」
「お前、普通に喋る事も出来るんだな」
ロンダルキアの厳しい寒さで赤く染まっていたアイリンの頬が、それを聞くや見る見るうちに赤みを増していく様だった。
どうやら、あの言葉は不意に口を突いて出たものだったらしい。相当、恥ずかしかったのだろう。
神父の呪文により回復した体力で、遠慮も躊躇も加減もなく、文字通りもょもとを叩き始めるアイリン。
神父と呪文への疑念は何処へやら。2人のやり取りが余程おかしかった様で、すけさんは大笑いするばかりだ。
そんな中ですけさんの笑いが移ったのか、神父までもが笑いながら言った。
「さぁ皆さん、まずは暖炉の前で体を温めませんか。外の寒さは厳しかったでしょう」
「お湯もすぐに用意します。体を拭くのに使って下さい」
3人の世話をしながら、シスターも心底楽しそうな表情を浮かべている。シスターの場合は、もてなすべき客人が現れた事に対する歓迎の意もあるのだろうが。
そして、もはや何が何だか分からないといった状態の中、3人は暖炉のある部屋へと案内される事にした。
無駄に騒ぎはしたものの、細かい事はどうでも良い。今はとにかく、休みたい。それが3人の正直な気持ちだったのだろう。
案内された部屋に着くと、我先にと暖炉の前に向かう3人。体が中々温まらない事に焦れていると、神父が盆に3つのカップを載せて持ってきた。
「あなた方がここに辿り着くまでにどれ程の苦労をされたのか、私には想像も付きません。ですが、ロンダルキアの厳しい寒さだけは、私にもよく分かります」
3人の前で膝を付くと、それぞれの前に香ばしい匂いと湯気を立てるカップを差し出しながら、神父は続ける。
「どうぞお召し上がり下さい。体の芯から温まりますよ」
目にするやすけさんの顔が綻び、カップを取りながら簡単な礼を言った。隣に座るもょもとは取ったカップを少し上に上げ、視線だけで神父への礼に代える。
そしてカップの中身を怪訝そうに見ているのはアイリンだ。
「何じゃこれは?」
そのアイリンに僅かの驚きと疑惑が入り混じった表情を向けつつ、カップの中身を呷るもょもと。
アイリンの疑問には、すけさんが答えた。
「これ、麦酒だよ」
「これが麦酒じゃと?麦酒とはこうもおかしな臭いがする物じゃったのか?しかも温めてあるし、色もな」
確かに、カップに注がれた液体は茶色を通り越して黒に近い色を持っている。見慣れない者からすれば、あまり良くない印象を抱いたとしても無理のない事だ。
しかし、そんなアイリンを横目に、もょもとのカップはもう、中身が半分ほど無くなっていた。
「色々なハーブやスパイスが入っているんだ。こういう香りは『おかしい』じゃなくて『複雑』って言わなきゃ」
頂きます。神父に対してごく自然に声を掛けてから、すけさんも麦酒に口をつける。
「うん、美味しい。嫌味でも何でもなくて、こういう事に関しては流石ですね、神父さん」
「お恥ずかしい限りです」
神父が苦笑した。
そんなやり取りを見ていると何だか1人だけ取り残された気がしたので、何度も液面に息を吹きかけてから、意を決してカップに口をつけるアイリン。
「あ」
「どうしたの?」
「美味しい」
「でしょう?」
そう言って、すけさんは軽快な笑みを浮かべる。
もう一口を啜って、その風味を舌で、喉で、鼻で楽しんで。満足気に少しだけ目を細めるアイリンは、そこで初めて、心から温まったという気がした。



暖炉の中で時折、薪の弾ける音が小気味良く響く。そして、柔らかく揺らめく炎と、そこから広がる暖かい空気。これを最後に味わったのは、いつの事であったろう。
考える程の事ではない。ロンダルキアの麓へと続く旅の扉の泉があるベラヌール。その宿屋での事だ。
ただそれだけの事である筈なのに、明確な解答を導くまでには幾らかの間が空いてしまう。それほど、ロンダルキアへと続く洞窟の攻略には時間を費やした。
本当のところ、神父に聞くまでは「何処」が分かっても正確な「何時」は分からなかったのだ。
無理も無い。
太陽の光が一切届かない洞窟の中にいた時間は、1日、2日という程度のものではないのだから。
自分達が洞窟に入ってから、このロンダルキア台地に建つ祠に辿り着くまでに何日経っているのか、誰も分からないのだ。
それくらいに長い時間を経て、今、冷え切った体を温めている。
これを幸せと言わずして、何と言おう。

「だけど、本当に助かったよ。この暖かさには癒されるね」
「全くじゃ。温いのう」
すけさんとアイリンの緩み切った表情は、さながらこの感動を隠そうともせずに全身で表現しようとしている風である。
しかしその一方で、一緒に体を温めているもょもとの表情は、厳しいままだ。
聞くまでもない。もょもとの表情が晴れない理由はこの祠に辿り着く直前にあって、それはすけさんもアイリンも痛い程に分かっていた。
ただ、2人の感覚からすれば、「それはそれ、これはこれ」なのだ。
そして、それが出来る程にもょもとが器用ではない事も、2人はよく分かっている。



もょもと達がロンダルキアの祠に辿り着けたのは奇跡的な事であった。
そう、もょもとは考えている。
それは別に、戦力としてのすけさんとアイリンを当てにしていないという訳ではない。
そうではないのだが、客観的に考えても、自分の力を抜きにして数々のモンスターに対処出来る程、すけさんとアイリンは強くないと思うのだ。
勿論、2人の実力を一笑に付す事が出来る程に自分が強いとも思っていない。3人が一丸となってこその力だと思っている。
だが、しかし。
戦闘中、常に前衛に立っているのはもょもとで、すけさんが前衛に立ち続けるには、まだ少し足りない部分があるともょもとは考えている。
だからもょもとは極力、後衛に2人を配し自分1人で前衛に立つ様にしており、あまり無理をさせない様な状況を選んでは、すけさんを前衛に立たせる様にしてきた。
考えようによっては残酷な話でもあるが、それがもょもとなりのすけさんの鍛え方でもあるのだ。
それは同時に、背後からの不意打ちを受けた際にアイリン1人が前衛に立っているという状況を作らない為の策でもある。
そうして、これまでの旅の中で様々な状況を経験したすけさんは、随分と剣術の腕を上げたと思う。
だが、それでもまだ、すけさんの腕はもょもとに遠く及ばないレベルのもので、それを補う為にすけさんは呪文を使うのだが、かと言ってすけさんの魔力は際立って強い訳でもない。
アイリンに関してもそうだ。
一般的に考えるなら、そもそも戦場にいる事自体がおかしいくらい、アイリンは弱い。
そのアイリンを戦場に立たせているものはハーゴン討伐と祖国復興に対する強い意志で、何より、それ以上に強大な魔力なのだ。
その一点がアイリンを重要な戦力たらしめているのであって、だからこそ、それが尽きてしまえば2人よりも悲惨な状態になる。
それらの事を考えた上で、やはり、常に前衛に立ち、必然的に敵から受けるダメージの多くを負担するもょもとの戦力は、パーティに無くてはならないものだと改めて思う。
そしてそれ故、不覚にもギガンテスの棍棒の直撃を受けたもょもとが薄れ行く意識の中で感じたものは、自身への怒りと失望だったのだ。
尋常ではない生命力と攻撃力を持ち、イオナズンの直撃にも耐えるどころかそれを無効化してしまう事すらあるギガンテスの前に、ここ一番の決め手に欠けるすけさんとアイリンで歯が立つのだろうか?
ましてやここは大雪原である。逃げる事すらままならないだろう。
しかし実際には、冷静にアイリンがマヌーサの幻影でギガンテスを包み込み、そこにすけさんが放ったザラキによる死の言葉が届いた。
そしてすけさんとアイリンに担がれる様に(或いは引き摺られる様に)して祠に辿り着き、結果として、祠の暖炉で暖まる今の自分達がある訳だ。
だが、こうやって暖炉の前で鎧を脱いで体を温めていると、先の失敗を幾度と無く思い返してしまうもょもとである。
(俺が真っ先に倒れるなんて)
一体何をやっているんだ。
そう、何度考えたか分からない。
しかもそれによって、すけさんに自らの命を犠牲にする決意までさせてしまったのだ。
自責の念が一層、強まる。
挙句、すけさんに乱暴な言い方で「メガンテだけは使うな」と言った事から口論になりかけてしまった。
それがただの八つ当たりでしかない事は、もょもとにも分かっているのだが。
(本当に、俺は何をやってんだ)
怒りと、悔しさと、無力感が募るばかりだった。

「雪原での動きに慣れるまではここを拠点にさせてもらって、何日か修行をしない?」
翌朝、朝食の席でそう言ったのはすけさんだ。
それは確かにもょもとも考えた事である。しかし、そこでもょもとの脳裏を過ぎったのは、「ここで足を止めてしまって良いものだろう
か?」という事だった。
こうしている今も多くの人がハーゴンの脅威に晒され、或いはその命を奪われている。そう考えると、逸る気持ちを抑えられない。
「そうじゃな、私も賛成じゃ」
そのもょもとの心を見透かしたかの様に、アイリンは澄ました顔で続ける。
「『急がば回れ』と言うしな」
そう言ってもょもとを見たアイリンは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「あぁ、そうだな。そうするか」
そのアイリンに圧される形で、もょもとが賛成する。
それはどちらかと言うと、もょもとにとっては賛成「させられた」と言う感覚なのだが。
食後、そういった話の流れと数日間の滞在を申し出ると、さも当然と言った風に神父は快諾した。
「平和の為に戦う方々の、お手伝いをする事が出来る。それはなんと幸せな事でしょうか」
その返事が、もょもとにとっては妙に気恥ずかしいものだった。



祠から出ると、ロンダルキアという環境の厳しさを改めて思い知らされる。
まず、雪に覆われた地面では満足に歩く事すら出来ないのだ。
中でもそれが顕著だったのは体が弱い上にローブを着ているアイリンで、もょもととすけさんはそれを洞窟を抜けてからここに着くまでの道程で充分に理解している。
それに付いてのアイリンの言い分は、「ムーンブルクにはこんなに雪が降らんのじゃ」というものだった。
ムーンブルク領の中では北に位置するムーンペタの山岳地帯でも、これ程までに大量の雪が降る事は無いらしい。
まるでそれを経験したかのように話すアイリンを見ると、果たして王女たるアイリンが本当に経験しているのか、そうであるなら、何故経験しているのか。そんな疑問が湧いたもょもとだった。
しかし確かに、それはローレシアの王子であるもょもとも感じた事である。ローレシア城周辺でも、ここまでの降雪はそうある事ではない。
だが、日頃からアイリンとは比べ物にならない程に体を動かすもょもとである。既にある程度は、ロンダルキアでの身のこなし方も覚えてきていた。
あと数日も動き回っていれば、充分にこの雪原にも馴染めるだろう。

そのもょもとにとって意外だったのは、自身に輪を掛けて適応が早かったすけさんだ。曰く、「僕は雪山の登山なんかも経験しているからね」との事である。
確かに、極北の地サマルトリアも冬の厳しさは相当なもので、そこに生まれ育った事を考えれば、さほど不思議な事ではないのかも知れない。
そして、本当にすけさんが雪に慣れている事を、もょもとはすけさんとの模擬戦で思い知らされる事になる。
以前に手合わせをした時に比べ、すけさんが圧倒的に強く感じられたのだ。
確かに、一緒に旅をしている間にもすけさんの剣術の腕前はかなり上達してきたと思う。
しかし、ロンダルキアへの洞窟の中でモンスターと戦っていた時のすけさんと照らし合わせて考えると、ここで自分が追い詰められるのは予想外なのだ。
では何故?
もょもとにとって、その理由は雪への慣れ以外に浮かばなかった。
改めてすけさんの動きを見ていると、自分とは比べ物にならないくらいに軽快なのだ。
一撃が軽い代わりに手数で攻めるすけさんにとって、この雪がもたらすデメリットはそう大きくないのだろうか。
逆に、一撃の重さを身上とするもょもとにとって、雪がもたらすデメリットは非常に大きなものであると感じずにはいられない。
それら数々の悪条件に苛立ちが募り、正常な判断力を奪われ、ついにもょもとはすけさんに負けてしまった。
「どう?もょ。たまには僕も役立つでしょ?」
軽快な笑みを浮かべるすけさんを前に、もょもとは言い訳を考える事しか出来なかった。
それくらい、すけさんに負けた事はもょもとにとって悔しかったのだ。

だが、それが余程応えたと見え、翌日の夕方頃になると、明らかにもょもとの動きは軽やかなものになっていた。
昨日のすけさんとの力量の差が目に見えて縮んでおり、結局、この日はもょもとに負ける事になったすけさんである。
そのもょもとの姿勢は、「真面目に修行を積む」と言うよりも「ムキになって暴れている」と言う感じのするものなのだが。
「だけどそれで実際に効果がある辺りは、馬鹿に出来ないよね」
それがすけさんとアイリンの、一致した感想だった。
「全くじゃ。ものは言いよう、考えようじゃし、『なんとか』は使いようと言うものな」
「物凄く乱暴な言い方をしたね。それにもょは鋏じゃないよ」
「言うでない」

その後も、もょもととすけさんは様々な状況を想定しての模擬線を繰り返し、アイリンはそれを野次を飛ばしつつ観戦したり、雪遊び(本人は修行と言い張っているが、2人にはとてもそう見えなかった)をしてみたり、曲芸的な呪文の使い方に挑戦してみたり。
更に数日間の修行を経て、3(-1)人はようやく雪上での戦力向上を確信するに至った。



「この数日間、皆様の修行を拝見しておりましたが、より一層、頼もしくなられました。私も、今の皆様であればハーゴンを打ち倒す事が出来ると確信しております」
「行かれるのですね私は皆様のお力になる事が出来ませんでしたが、せめて、ここで皆様のご無事をお祈りしております」
この日を以って修行を終える事とし、翌日を丸ごと休息に充て、それから出発するという流れをすけさんが提案した。もょもととアイリンにも異論は無い。
そこで夕食後にその旨を神父に報告したところ、神父からは確信の笑顔と励ましの言葉が、その傍らにいたシスターからは控えめな言葉と複雑そうな笑顔が返ってきた。
「それと、明日は出来るだけのご馳走を用意しますね」
この時、重ねて控えめに言ったシスターの言葉が、悲しみ、寂しさの様な何かを押し隠したものであると感じたすけさんである。
閉塞的な環境で、規則正しい生活を送るばかりの毎日。幾ら信心深いとはいえ、そこに多少なりとも退屈を感じる事があったのではないか。
だから、そこに現れたイレギュラーたる3人との生活はシスターに新鮮な刺激をもたらしたのではないか。
しかし、それが長続きをする筈のないものである事は分かり切っている事でもあって。
それらが入り混じって、シスターの複雑な想いに繋がっているのだろう。
そういった部分に敏感なすけさんには、シスターの気持ちに共感するものがあった。
そして出来るだけ、シスターの想いに応えてやりたい。すけさんはそう思ったからこそ、遠慮の無い言葉を返す事にした。
「楽しみにしています。明日はお腹が一杯になるまで頂きますよ」
今度は、心底嬉しそうな柔らかい笑みが返ってきた。

そして実際、翌日の夕食は3人にとって信じられない程に豪華なものだった。
食前に供された泡立つ葡萄酒の、まるできらめく様に爽快な味わい。生ハムとフルーツ、肉や魚のパテ、チーズとベリーのソースといったバラエティに富んだカナッペと併せて、これから始まる食事がわくわくとした、驚きと楽しみに満ち溢れたものである事を約束してくれるかの様だ。
新鮮な冬野菜のサラダには程よい味加減のドレッシング。使用する野菜とドレッシングの材料の選択が上手い事もあって、彩りが豊かな逸品となっている。
日中、神父が湖で釣ってきたという獲れたての魚のマリネには、爽やかな酸味とハーブの香りが添えられており、次から次へと手が出てしまいそうな味わいがあった。
その後、シスターが「肉料理の前の口直しに」と用意したオレンジのシャーベットは、素材の味を活かした作りで殆ど甘さが加えられておらず、一口で飲み切れてしまう量と相まって、最高のリフレッシュをさせてくれた。
肉料理の前には2本目の葡萄酒。これも泡立つ物ではあるが、1本目よりも爽快感が抑えられ、深みのある重厚な味わい。一口でも飲み込めば、続く肉料理が待ち切れなくなってくる程だ。
そしてメインの肉料理は適度な歯応えと脂身が後を引くステーキ。フルーツとハーブを煮詰めたというソースが肉の旨みを引き立て、口中に至福のひと時をもたらす。それを葡萄酒の泡で洗い流した後で改めて楽しむ肉の味わいは、快楽ここに極まれりといった風ですらあった。
そしてその間、常に料理を引き立て続け、またそれ自体も脇役とするには惜しい程に存在感を放っていたパンの事も忘れられない。焼きたての香ばしく素朴な匂いは、食事の席にある種の安心感の様なものをもたらしてくれる。殊更に自己主張をする訳ではないが、これが無くては始まらない。そんな存在だ。
楽しい時間が終わりに近付く。そんな、名残惜しい気分を振り払うかの様にチーズが供された。これは選択の妙と言うべきなのだろう。葡萄酒との相性は最高と言う他に無く、依然として忙しなく動く手と口が会話というものを忘れさせてしまいそうになるところを、それぞれの笑顔が代弁する。そんな光景がままあった。
デザートにはオレンジのケーキ。今度は濃厚な味付けをされたオレンジであるが、しかし、食後に爽やかな余韻を残す事は忘れておらず、それが同時に、葡萄酒をすんなりと飲み込ませてくれもした。

「美味かった。それに食い過ぎた。まさか、ここでこれだけの物を口に出来るとは思わなかった」
「本当だね。さっき神父さんが言っていたけど、ここからはベラヌールまで旅の扉が通じているんだって?それって実は、こと料理をする上で、かなり恵まれた環境なんじゃないかな」
「こんなに食べるのはいつ以来の事かのこれは正直、ハーゴンが霞む美味しさじゃったぞ」
それぞれ食後の飲み物を片手に、3人が言う。
この食事は、紛れも無く最高のご馳走だった。そして食卓に向かうひと時は、本当に素晴らしいものだった。
美味しいお酒と美味しい料理。そして、気心の知れた仲間達。それに今は、優しく3人を見守る神父と、甲斐甲斐しく、そして心底楽しそうに働くシスターもいる。
文句の付け所など一つも無い、素敵な時間。
ただ、3人にとって意外だったのは、まさかシスターの料理がこれ程までに高度なものであるとは考えてもみなかった事だ。
確かに、これまでにシスターが作った料理の数々は、シンプルではあったものの、料理の基礎がしっかりと出来ている事を窺わせる物ばかりだった。
しかし先程の夕食は、宮廷に出しても恥ずかしくないレベルの味であったという点で、3人の意見が一致している。
それについて聞いてみたところ、シスターの親が料理人を勤めていたらしいとの答えが返ってきた。
「ロンダルキアに町があったら、冗談じゃなくレストランを開く事を薦めたいくらいだな」
「ベラヌールに下りてお店を出すのも良いよね信心深いシスターに言うのも失礼な事だけどさ」
「ムーンブルク再興の暁には、私のところでやってみる気は無いかの。悪い様にはせんぞ?」
道を逸れ始めた感動が、3人に言いたい放題の事を言わせている。三方から賞賛ともからかいとも取れる言葉を浴びるシスターは、困惑の表情。
しかしそんなひと時も、シスターには楽しくて仕方がないといった風で。
何人たりとも寄せ付けぬ極寒の台地にあって、笑顔と笑い声が絶えない。そんな光景は、この祠が建って以来、初めての事である。
賑やかな空気が落ち着くまでには、もう少し時間が掛かりそうだった。



それでも楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまうもので、気が付けば、就寝の時間が近付いていた。
しかし今は、まだ話し足りないといった感のある3人である。食堂を離れ少し経つと、誰からともなしに暖炉の前に集まり、結局は話の止む気配を見せない。
そして、それを見たシスターが3人分の紅茶を用意し、結果として更に話が続く。
何処にそれだけの話題があるのかと我ながら思う3人ではあるのだが、しかしそれは無理の無い事なのかも知れない。
翌日、3人は最後の決戦に挑む為、最後の拠点を発つ事になるのだ。
考えてはならない事であるとは知りつつ、こうやってゆっくりと語り合う機会はこれが最後になるのかも知れないという思いを、誰も振り払う事が出来ずにいる。
幾度と無く死を覚悟した程の熾烈な戦闘。その先にこんな夢の様な時間があるとは、誰も考えていなかった事だ。
しかし夢には終わりがあり、それはもう目の前まで来ている。
布団に入って目を閉じ、次に目を覚ませばそれで終わるのだ。
その先には、これまで以上に厳しい現実が、戦闘が、待ち構えている。
だから今は、もう少し―――

それまでの話が一段落して、ふと、会話が途絶えた。
それはつまり、3人が夢の終わりを明確に意識したという事なのかも知れない。
「―――いよいよだな」
すけさんとアイリンを力強く見つめながら、もょもとが言う。
初めは頼りないだけだったすけさんが今では頼もしい存在となり、辛い過去にも負けずに強大な魔力を振りかざすアイリンと共に自分を支えてくれる。
だからこそ、俺達はここまで来る事が出来た。
「長かったなぁ」
いつもの調子で、すけさんが言う。
恐ろしい程に剣技に長けたもょもとが自分の剣術を、天性の魔力を誇るアイリンが自分の魔力をも高めてくれた。
だからこそ、僕はここまで来る事が出来た。
アイリンは僅かに目を細めて、そんな2人を見やる。
私は一度、全てを失った。しかし、そんな自分をもょもとは常に守り、そして勇気を与えてくれた。そんな自分をすけさんは常に支え、そして優しさを与えてくれた。
だからこそ、私はここまで来る事が出来た。



死と敗北への恐怖を完全に振り払う事は、まだ出来ていない。
だから、そんな自分に言い聞かせる。

俺達は、
僕達は、
私達は、

―――絶対に、負けない。



「それじゃ、改めて」
ややあって、思案中の自分に2人の視線が向けられている事に気付いたもょもとが、そこに感じた気恥ずかしさを誤魔化すかの様に口を開いた。

「決戦前夜という事でもう少し、話をしよう」

 

 

 

 

 

 

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