アイリンのセカイ





元の姿に戻り、もょもととすけさんの三人で旅をしてもう何日経ったことか。
夜な夜なうなされる事も。
そのそばに二人がいてくれる事も。
朝を迎えれば、それぞれが何も無かったように接してくれる事も。
今となっては当たり前になってしまった。
旅を始めた頃はそうではなかったのに。
あの夜夢に見てから、まるでスイッチが入ったように……。
私は私の中で普通だったものを、どこかに忘れてきてしまったようじゃった…………。

「アイリンッ!」

もょが私を突き飛ばし、マンドリルの攻撃を弾いた。
敵の後ろへ回り込みつつ呪文を詠唱していくすけさん。
「ギラッ!」
マンドリルはギラの一撃で消滅した。
私のバギでも倒す事ができていたのじゃ。
敵が手負いとも気付かなかった……。
「す、すまぬ……」
まだレベルの低い私は、二人に着いていこうと必死だった。なのに私は…………。
「気にすんなよ」
「そうそう。あれだけ一度に出てきたら仕方ないよね」
二人はいつものように笑いかけてくれた。
私とてロトの子孫のはずじゃ。その誇りを胸に、そう言い聞かせていたはずなのに……私はそのように事を成せてはいない。
二人の後ろを歩き、戦闘では大して役にも立っていない。
私はあの時のように誰かに守られるだけじゃ……。

前を歩いているもょの背中が目に留まった。
さっきのマンドリルの攻撃を受けたのか、背中に爪痕を残していた。もしかすると、さっき私を庇った時にできた傷かもしれぬ……。
そう考えだすと、もう頭から離れなくなってしまった。
残りのMPなど気にしてはおれぬ。それくらい、私は気になって仕方が無い。
「もょ……」
その背中へ、ベホイミの呪文を唱える。
スッともょの背中へ手を伸ばすと、その傷口からほんの少し、血が流れていた。
その血が私の頭を真っ白にしてしまった。
満足に呪文も唱えられず、流れる血から目を離せないでいた。

「アイリン?」
すけさんに名前を呼ばれるも、反応できないでいた。

「もょ!」
「何だよ? あ――――」
「とりあえずホイミ。これもあると思うから」
「あ、ああ。……で、どうしたらいい?」
「やっぱり、話を聞くべきだね」
「……そうか」

「アイリン」
今度はもょに名前を呼ばれる。ここでやっと顔を上げる事ができた。
もょは私の左肩を、すけさんは右肩を優しく触れてくれた。
――そう、か……。私とした事が、二人に心配をかけてしまったのじゃな。
「だい…………」
大丈夫じゃ、と言葉にしようとしたのに、私の声は震えていた。そこでやっと私は自分の頬が濡れている事に気が付いた。その涙がいつ流れたのかすら分からない。
「アイリン。ここに座ってよ」
すけさんの言葉に振り向くと、後ろにはいつの間にかシートが広げられていた。
私はゆっくりと腰を下ろし、二人は私の前に腰を下ろした。
「アイリン。何か辛いのか?」
ストレートに聞いてくるもょは、本当にもょらしい。
「もょ。もう少し言葉を選んでよ」
「うるせーな」
気遣いができるすけさんも、すけさんらしい。
私は涙を拭いてそんな二人に微笑んだ。
しかし、思ったよりそれができないでいた。
私らしい私。それが思い出せない。

「話せば楽になれるかもしれない。何だっていい、思っている事を言ってくれ」
「話して辛くなるようなら、無理に話さなくていいんだよ」
意見の違う二人は、互いを見合った。
「何だよ?」
「もょこそ!」
私はそんなありのままの二人が羨ましく、そして好きなのだと気付いた。
――そんな二人のようになりたいのじゃな……私は。
「もょ、すけさん。私は――――」
二人は真剣に私を見つめ、話を聞いてくれる。
己の内にある呪わしき思いを、二人の勇者へ開いた。

「ハーゴンが憎い。憎いのじゃ…………」

私は私の中にあるものを二人に吐き出した。
二人は何も言わず、黙って私の話に耳を傾けてくれた。

燃えるムーンブルク城。
命を落としていく兵士達。
そして、その炎の中で私を庇ってくれた父上。
犬に姿を変えられた事よりも、私が失ったもの……いや、ハーゴンによって奪われたものの方が大きかった。

その時から、私の心の中には黒い霧が立ち込めていた。その黒い霧は、時に大きく膨れ上がり、心の隅々にまで広がってしまう。
憎しみに駆られた心を持つ私が、誇りあるムーンブルクの王女などと、ロトの子孫、勇者など成れるはずがない。

「私は、醜い化け物と変わらぬ。人の皮を被ったおぞましい生き物……それが我が正体じゃ」
もしも目の前にハーゴンがいて、トドメを刺せる剣を手にしていたなら……きっと私は躊躇わない。どんなに命乞いをしようとも、きっとその剣を振り降ろす。
そこには世界の平和も、人々の平穏な暮らしも関係ない。
私はただ、己が憎しみを晴らすがために剣を振るう。

「ラーの鏡はアイリンを元の姿に戻しただろ? 本当に醜い化け物なら、その姿になるはずだ」
「そうだよ。アイリンはアイリンさ」
ここまで黙って聞いていたもょとすけさんがしきりに私を慰めようとする。
しかし、私は首を振った。
「ラーの鏡は割れたのじゃ。割れなければ、私は…………」
モンスターと変わらぬ、おぞましい姿となったかもしれぬ。
それともその醜さ故にラーの鏡は割れたのかもしれぬ。
考えれば考えるほど、そんな事しか思いつかない。
「人としての美しさなどいらぬ。私は醜い姿の方が良かったのじゃ……」
鏡を見て思う。この顔はなぜ、こうも人らしいのだと。
醜い私には、こんな顔は必要ないのだと…………。

「……で、でも。アイリンにだっていい所はたくさんあるんだし、僕はとても優しいと思うけど――って、もょ?!」
すけさんの声でもょを見ると、もょは立ち上がって剣を抜いていた。
もょの剣は確かに私に向けられていた。
「ちょっと、何やってんのさ!」
かばうように私の前に立つすけさん。 「どけよ、すけ! モンスターは全て倒す!」
それはもょが初めて私に向けた顔だった。まるで敵を見るような目が、私の心を貫いた。
「ありがとう。すけさん」
私はすけさんから離れて立ち上がり、自らもょの剣の前に立った。
目の前の鋼鉄の剣が冷たく光っているのが分かる。
「もょ……私を斬るか?」
「モンスターは全部斬ってやる」
「良かろう。おぬしに斬られるなら本望じゃ」
「………………」
もょはじっと私の目を見つめた。
その目こそ、誰もが敬う勇者の目。
私とは……きっと違う目じゃ。

ザンッ。

もょは剣を地面に突き刺した。
「取れよ」
「……なぜじゃ?」
私の質問にもょは答えない。
もょが何を考えているか分からぬまま、私はその剣を掴んだ。地面に深く刺さっているせいか、容易に抜けない。
「アイリン」
「……なんじゃ?」
「もしも俺がハーゴンなら、お前は俺を斬れるか?」
自分でも体がビクッと震えたのが分かる。
我が憎しみの対象がそこにいたなら。
そこにそれを断つ剣があったなら。
私は迷わず剣を振るう。
ついさっき自分で考えていた事じゃ。

「……………………」
「……………………」

私はもょを見つめた。
もょも私は見つめた。
手にした剣は未だ地面から抜き切れていない。
ただ、私はもょの剣を強く握り締めていた。

「……斬れぬ。私は仲間を斬る事などできぬ」

例えこの心が醜く染まるとしても、それだけはきっとしない。できるはずがない。
剣を持つ私の手をもょが握ると、深くため息をついていた。
「ハァ〜……俺もだ。例えアイリンが化け物であっても、俺はアイリンを斬らない」
「しかし、それでは……」
その手の上に、すけさんも手を置いた。
「憎しみはなくならないかもしれない。それはアイリンの心の一部だから……。でも、アイリンはもょを斬れなかった。もょもアイリンは斬らない。その心は、アイリンの心。僕たちが好きなアイリンの心だよ」
――そうか……私は己の醜い心を諦めていたのか。
向き合うことをしなかった。
考えないようにしていた。
だからどんどん醜く見えていた。
私の中にある汚れの無い心すら醜く染めていた。

「……って、もょは言いたいんじゃないかな?」
「うるせーな、すけ!」
「イタッ! 叩くことないじゃないか!」
「ヘッ。余計なこと言いやがって……」

そしてもょとすけさんは、そんな私を受け入れてくれた。
――私は何をしているのじゃ。私自身が変わろうとせねば、永遠に変わることなどできぬものじゃ。
憎しみはなくならないかもしれぬ。けれど、私は王女としての誇りを失いたくは無い。平和を望む者達。その笑顔を守るために戦いたい。
時には自分でも抑えられぬかもしれぬが、もょとすけさんがそばにいる。それだけできっと大丈夫じゃ。

「すまぬな、二人とも。もう、大丈夫じゃ」
私は涙を拭いて二人に微笑んだ。
「あれ?」
いつの間にか二人は居なくなっていた。
辺りを見回すと、もょがこっちに向かって走ってきていた。
その手には花らしきものが握られている。
「……これ、やるよ」
恥ずかしそうに私に花を向けるもょ。おそらくは花を贈るという行為すら始めてなのであろう。
白く形のいい、とても美しいユリの花じゃ。
「母上が好きだった花だ。俺はこれしか花を知らん」
もょから花を受け取ると、ほのかに匂いがした。
「ああ〜。もょもかぁ〜」
後からやってきたすけさん。
その手に握られているのはもょと同じユリの花。
「この花は妹が好きなんだ。アイリンも気に入ると思ってね」
すけさんからも花を受け取る。
私は目を閉じて二本の花の香りをかいだ。
ほのかに香るユリの花に、私は少し酔っていた。
どちらの花も、私に元気を分けてくれるようだった。
「あっちにいっぱい咲いてたぜ?」
「うん。アイリンも行こう!」
もょとすけさんは同時に、私に腕を組んだ。
そして一緒に走り出した。
「おぉ! 二人とも、少しばかり早いぞっ!」
二人に連れられるまま走っていくと、辿り着いた先は一面の花畑だった。
ユリだけでなく、たくさんの花が美しく咲いていた。
その光景に、私の心が澄んでいくのが分かる。
たったそれだけの事で心は変わる。
この果てしなきセカイの中で、私はもっと美しいものを見ることだろう。
それこそが、私の心となってくれるはずじゃ。

「どうだ?」
「綺麗でしょ?」
満足そうに微笑む二人に、私はやっと満面の笑みを返すことができていた。
「……うむ。二人ともありがとう。私もこの花たちのように美しい心でありたい。きっと大丈夫じゃ」
うん。と自ら大きく頷き、二人の腕を取った。
そしてそのまま花畑の中へ飛び込んだ。

「世界は、こんなにも輝いておるのじゃからなっ!」





アイリンのセカイ・完

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