蘭学事始 11: 刊行をめぐって

 

 


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※筑紫の菅廟… 菅公(菅原道真)の廟、すなわち太宰府天満宮のこと。
天神さま=学業成就の図式は今も昔も変わらない様子。

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※吉雄耕牛… 吉雄家5代目、吉雄幸左衛門、のち幸作(1724年-1800年)。若干25歳にして異例の大通詞となったスーパー通詞。
ツュンベリーなどオランダ商館付医師から医学も学び、その医術は吉雄流紅毛外科として広まった。
疑いなく当時の日本トップの西洋知識・語学力を持っていた人物。「オランダ正月」の人。著書多数。

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※写実性に欠ける… 『解体約図』の挿絵を描いたのは小浜藩の熊谷儀克という人物(未詳)。
彼の絵も決して下手なことはないが、日本画の域を出なかったため玄白は洋風画を学んだ絵師を求めていたらしい。

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※西洋画を描くのは俺にも出来る… 源内は日本における西洋画のパイオニアの一人。
長崎遊学の際に学んだものらしい。『黒奴を伴う赤服蘭人図』『黒奴を伴う赤服蘭人図』など。

 

 

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