蘭学事始 02: 玄白と良沢、長崎屋へ

 

 


08
    ※明和三年… 西暦1766年。江戸時代の中期頃。
※長崎屋… 日本橋の本石町三丁目にあった阿蘭陀宿。本業は薬種問屋。
カピタン(オランダ商館長)一行らが参府する際は、ここに逗留するよう定められていた。

 

09
※「若かったのだ」… 当時、玄白は34歳、良沢は44歳。
※「御公儀の許可なく〜」… 阿蘭陀通詞には許可がなくても会えるので、
江戸逗留中の彼らは押しかけ学徒らの質問攻めにあっていたらしい。
今の良沢と玄白も、その押しかけ学徒。

 

 

10
※大通詞の西善三郎… このマンガの冒頭に出てきた、あの西善三郎(1715年または1717年-1768年)。
初めてオランダ語の体系的学習に取り組んだ通詞のうちの一人。蘭日辞書の作成にも取り掛かるが、道半ばにて病没。

 

11
※青木文蔵… プロローグで出てきた青木昆陽のこと。
吉宗に蘭学学習を命ぜられたことと、救荒作物のサツマイモで有名なお方。
なお、この時点では野呂元丈は既に亡くなっている。

 

 

 

 

12
※早々に和蘭語を諦めた… これがきっかけとなり玄白はオランダ語習得を諦めたが、
蘭学に対する興味は依然として旺盛であり、この三年後、再度赴いた長崎屋で
大通詞:吉雄幸左衛門よりヘーステルの外科書を借覧し、図写するなどしている。

 

 

歴史作品TOP          HOME          次へ

 

 

 

 

inserted by FC2 system