08 そして伝説へ

 

 


 

 大魔王が勇者の身体を薙ぎ払うのを見た瞬間、全身の血が逆流した。


 無我夢中で繰り出した火球は大魔王の不意を突いてその恐ろしい横顔に直撃した。炎に巻かれて身を捩る大魔王を尻目に、倒れている勇者に駆け寄って回復呪文を施す。
 ――――お願い、間に合って! 勇者!!
 必死の祈りが通じたのか、勇者が呻きながら目を開いた。揺れる瞳が私を捉える。

ゾーマ戦

「…………え? ……遊び人? ……なんで……?」
「……バカ! 勇者のバカ!! 死ぬ気で追いかけてきたのよっ!」
「遊び人……? 本当に……? ……僕を追って、一人でここへ……?」

 勇者はまじまじと私の顔を見つめた後、思い出したように大魔王に目を移した。私もつられて振り返ると、体勢を立て直した大魔王が怒気を渦巻かせながら向き直るのが見えた。

「――話し込んでる暇はないわ! まずはあいつをやっつけましょ。お説教はそれからよ」

 勇者は目をしばたたいて聞いていたが、ようやく状況の整理がついたのか嬉しそうに一声うん、と頷くと、傍らに落ちていた剣を拾って飛び出していった。

 体力の戻った勇者は、以前にも増して強くなっていた。
 私は回復と補助に徹すると決め、距離を挟んでの魔法援護に専念する。まずはスクルトで物理被害の軽減を、勇者が傷付けばべホマで回復を、大魔王の口から吹き荒れる絶対零度の陣風にはフバーハで防護を、という具合に。
 また、勇者の戦い方はいつも後ろから見ていたから、どう動き、いつ踏み込むかが手に取るように分かった。勇者が跳躍して敵に斬りかかる瞬間、バイキルトを放ってその攻撃力を倍加させる。 すると硬い皮膚に阻まれるはずだった刃は深々と肉に埋まり、大魔王は目を剥いて仰け反った。速やかに間合いから離れる勇者の表情にも、思わぬ連携への驚きの色が浮かぶ。
 勇者が肩越しに視線を投げかけてきた。次も今ので、と目が語る。私は頷いて応えた。

 一緒に戦えている――。初めての実感に、胸が熱くなる。勇者の役に立てるのが、こんなに嬉しいことだなんて。
 これが世界の存亡を賭けた戦いだなんていう意識はとうになく、ただ、今この瞬間、全力で勇者を支えよう、頭の中はそれだけだった。

 どれくらい、そんな攻防を繰り返しただろう。
 長いこと勇者と接近戦を繰り広げていたゾーマが、深い捻転から振りかぶって強烈な一撃を振り下ろした。勇者は咄嗟に盾で受け止めたものの、衝撃の重さに足場が耐えられず、崩れる瓦礫に巻き込まれて頭まで埋もれてしまった。
 いけない、追い討ちをかけられる――――! と思いきや、大魔王は踵を返して憤怒の形相で私を睨(ね)めつけた。世界中の恐怖と憎悪を煮詰めたような血の色の瞳に、心臓が射抜かれる。びりびりと全身が竦んだ。
 不快感を露わにしながら、大魔王が一歩を踏み出した。急に現れて一騎打ちの戦いに水を差す私がよほど邪魔だったのだろう。メインディッシュは後回しにして、目障りな闖入者から片付ける気になった、というところか。
 歩むごとに地響きを立てながら、大魔王が近づいてくる。射竦める瞳は私を捉えて離さない。殺意を全身に浴びた私は完全に威圧され、声を出すことはおろか眼球の動きすら封じられていた。一歩、二歩。明確な死が、肉薄している。自由にならない身体がわななく。宵闇のような影が私の顔に差し掛かると、血も凍る声が降ってきた。

「忌々しい、小虫めが…!!」

 私を縊(くび)り殺さんとする手が伸びてきた次の瞬間、目にも留まらない速さで眼前に滑り込んできた影があった。大魔王の掌は卒然として現れた異物に弾かれ、身を固くしている私に届くことなく空を掴む。
 黒い影――勇者はそのまま床を蹴って敵の懐に入り込み、がら空きの胸をめがけて刃を突き立てた。

一撃

 苦痛に顔を歪め、大魔王はついに膝を折った。剣の生えた胸から青い血が滴り落ち、乾いた地面に沁みていく。
 勇者は肩で息をしながら剣の柄を手離し、ゆっくりと退いた。厳しい顔でゾーマを見据えてはいるが、先ほどまでの緊張は解かれている。
 戦いが決したことを実感する暇もなく、敗れたはずの大魔王は声を搾り出すようにして世にも恐ろしい予言を始めた。

「……勇者よ……よくぞ、わしを倒した……。しかし、光ある限り、闇もまたある。わしには見えるのだ……。再び闇から何者かが現れよう。しかしその時、お前は年老いて生きてはいまい……! わははは……!」

 地の底から響くようなその高笑いを、私は背筋の寒くなる思いで聞いていた。滅びゆく肉体の最後の力で、大魔王は私達の心に絶望の種を残そうとしたに違いない。
 けれどその時、勇者が静かに口を開いた。

「――――じゃあ、僕も予言しよう」

 不意に、肩を抱き寄せられた。

勇者の予言

「この先、何回邪悪が現れようと、僕らの子孫が打ち倒す」
「な……っ!?」

 ゾーマは一瞬だけ目を見開き、苦り切った表情で何か言おうとして――そのまま灰になって崩れ落ちた。

「ちょ、ちょっと勇者……!」

 金属音が響いた。ゾーマの胸に根を張っていた剣が地に落ちた音だ、と気付くよりも早く、勇者の肩口に鼻先を埋める格好になっていた。数瞬置いて 『抱き締められている』 という現実に気付き、私はにわかに恐慌に陥った。

「あ、ちょ、な……ッ!?」
「いつだったか、遊び人の言った通りだった。……僕、きみがいないとダメみたい」
「!!?? …あた、あた、あたりまえでしょっ!?」

 形容しがたい感情が押し寄せ、私は思わず勇者を力任せに突き飛ばした。勇者は尻餅をつきながら相変わらずニコニコしていて、その余裕ぶった態度が今は恨めしい。

「遊び人……いや、賢者になったんだよね。何て呼んだらいい?」
「ふ……フンッ。王様に報告を済ませたらすぐにダーマへ行って職を戻すんだから、今まで通りでいいわよ」

 ぷいっと顔を逸らしながら、突慳貪(つっけんどん)に言い放つ。
 ――違う。本当に言いたい言葉が出てこない。私がちゃんと本心を伝えてこなかったから、勇者は離れてしまったのに。最初から素直に勇者の役に立ちたいと転職していれば、不必要に勇者を悩ませることもなかったのに。
 ……これじゃ私、何のために追いかけてきたの。いい加減、成長しなきゃ。
 唇を噛んで俯いていると、私の葛藤なんて知りもしない勇者が立ち上がって顔を覗き込んできた。

「……僕を助けるために、大変な思いをして来てくれたんだね……。お蔭で命拾いしたよ。ありがとう」

 その言葉に、胸が、顔が、かあっと熱くなる。
 今よ、今しかない。素直になるのよ! 変わるなら今しかないわ!
 本心からの言葉を投げかけようと、意を決して顔を上げる。改めて勇者の顔を見た途端、押し込めてきた想いが涙になって溢れ出した。

「……ゆ、ゆう、しゃ……わ、わ、わた……し、……ね……」

 勇者を助けたくて追いかけてきたの。もう二度と離れたくないの。
 ぼろぼろと落ちる涙に構わず気持ちを伝えようとしたが、無様にしゃくり上げる声が出るばかりで話すこともままならない。それが情けなくて、一層泣きたくなる。
 様子を見ていた勇者が、両手を広げ、にこりと微笑んだ。

「おいで」

 それ以上の言葉は要らなかった。意地を張る意味なんてないのは分かっていたし、ただ自然な気持ちでその胸に飛び込もうとして足元を蹴った瞬間――音を立ててフロアの床が崩れた。

 粉塵と轟音に包まれて真っ逆さまに落ちていたはずが、突き上げられるようにどこかへ放り出された。地面に転がされて痛みを覚えるところからすると、まだ生きてはいるようだ。

「……けほっ、いたた……。な、何が起きたの……。ここ、どこ?」
「ゴホッ、ここ、見覚えがある。この盾のあった洞窟だ」

 傍らに口を開けている巨大な亀裂がある。どうやらここから投げ出されたらしい。
 ひとまず無事だったのはいいが、盛り上がった感情の落とし所がなくなってしまった。涙も引っ込んでしまい、素直になる機会を逸したことに口を尖らせていると、どこかから地鳴りが聞こえた。高い天井からパラパラと塵が降ってくる。

「ここも、早く出た方が良さそうだ」


 勇者の案内を頼りに洞窟を抜けると、眩い光が目を刺した。上の世界で何度も経験した感覚に、確信と共に薄目を開く。アレフガルドに陽(ひ)が射していた。
 二人、無言で辺りを見回して――ふと、小さな違和感を覚えた。
 ……何かしら?
 魔物の気配ではない。何かもっと別の、そう、空間移動をするときのような……。
 魔力を巡らせ、違和感の正体を探り当てる。私は青褪めて叫んだ。

「た、大変!! ギアガの大穴が……時空が閉じてる! 上の世界に帰れないわ……!!」

 勇者も、さっと顔色を変えた。きっとお母さんのことを考えたんだろう。珍しく口を開けたまま動きを止めた勇者は、たっぷりと固まった後で恐る恐るという風に口を開いた。

「じゃあ、もし、君がこっちに来ていなかったら……」

 勇者はそこで言葉を切り、代わりに私の手を取った。私もそれに応じ、少し力を込めて握り返す。私達は手を繋いだまま丘をくだり、ラダトームの街へ向かった。

 街は太陽の復活を喜ぶ人で溢れていた。皆が日輪に手を透かし、口々に勇者を称えている。そんな賑わいの中、私は元の世界に帰る方法をずっと考えていた。
 私に身内はいないけれど、勇者には上の世界に家族がいる。
 それに、商人にもう会えないなんて考えられない。頭の良い彼女のことだから、ギアガの大穴が閉じたことで全てを悟るかもしれないけれど、あれが最後の別れだなんてあんまりだ。勇者と二人で会いに行くって言ったのに――――。

 約束の果たされない予感に、じわりと視界が滲む。そこで初めて、勇者が見慣れた紫のマントをしていないことに気がついた。

「あ、あら? 勇者、いつものマントはどうしたの?」
「父さんにあげた。あれは、アリアハンから持ってきたものだから」

ラダトーム

 話の見えてこない私に、歩く道々で勇者はぽつりぽつりと話した。
 ゾーマ城の地下でオルテガさんに会ったこと。 手の施しようもなく息を引き取った彼を、自分のマントに包んで地底湖に葬ったこと。
 肉親の死を語るにも表情を崩さない勇者が痛々しく思えて、私は歩きながら泣き出してしまった。そんな私を見て勇者は少し困ったように笑うと、ありがとう、と言って互いの指を組ませるように手を握り直した。

 ラダトーム城の門の前まで来て、ようやく勇者は絡めていた指を解いた。
 謁見の間に通されると、太陽の出現で大体のことを察していたらしい王様が待ちかねていた。勇者が報告を済ませる間、王様は玉座から落ちそうなくらい前のめりになって耳を傾け、ゾーマとの戦いはどうだったか、恐ろしかったか、やはり苦戦したか等、矢継ぎ早に尋ねた。
 そして勇者の簡潔な応答にも興奮した様子で相槌を打つと、終いには席を立って小躍りし、「今日という日を祝し、これより国を挙げての宴を開く!」と高らかに宣言した。

 私達は身支度を整えるよう命じられ、それぞれ別室に通された。メイド達が金髪に合う色を議論しながら色とりどりのドレスを運んでくる。聞けば、これから諸侯を呼び寄せ、世界を救った勇者と、その助けをした賢者のお披露目をするのだとか。
 身包みを剥がそうとするメイド達の手を断って一人きりにしてもらうと、私は力が抜けたみたいにその場に座り込んだ。

 表で鳴り響くトランペットの音が、どこか遠くに聞こえる。
 机の上に綺麗な髪留めがいくつも並べられているけれど、私の不器用な手先ではほとんど扱えない。用意された豪華なドレスを前にして、なんだかすごいことになっちゃったな、と溜め息をついた。
 不意に、コンコンと窓を叩く音がした。振り返ると、無人のはずのバルコニーに勇者が立っている。まだ衣装替えはしておらず、旅装束のままだ。抜け出してきたのだろうか。
 勇者の手招きに応じてバルコニーに出ると、歓喜に沸くラダトームの街が一望できた。

「……お祭り騒ぎね。通りまで人で溢れてる」
「そうだね。今なら、いなくなっても見つからないよ」

 びっくりして、勇者の顔を見る。冗談を言っているようには見えない。

「……遊び人は、このままここに残って、『勇者さま』、『賢者さま』として暮らしたい?」
「……そんなの、御免だわ」
「はは、僕も」

 勇者は苦笑すると、じゃあ行こうかと手を差し出した。
 私はその手を取って、きゅっと握った。旅立ちの時と同じように。そして口を開く。

握手

「今度また一人になんかしたら、勇者のこと、嫌いになっちゃうんだから」
「うん。僕も、もう一人じゃ駄目なんだ」

 遊び人に『寂しがり』をうつされたからね。そう言って、勇者は微笑んだ。
 互いに頭からサークレットを外してその場に置くと、人の少ない外苑に向けて共にバルコニーを飛び降りた。後日、風の噂に聞いた話では、主賓が姿をくらましてお城は大騒ぎだったとか。

 勇者と相談した結果、二人で上に帰る方法を探すことにした。

 ゾーマが強大な魔力で時空に穴を開けたというのなら、魔力を磨けばどうにかなる類の話なのかもしれないし、ギアガの大穴が閉じても、マイラの夫婦やカンダタ、オルテガさんが落ちてきたという時空の穴は、まだ閉じずに残っているかもしれない。
 ひとまず現在の状況を知るため、ルビス様に接触を試みようとマイラ西の塔へ向かっている。

 一つ気に掛かるのは、大魔王の最期の言葉。
 いずれまた巨悪が現れたとき、平和に慣れた人類に対抗する力はあるのかしら、と勇者に問うと、とびきりの笑顔と共に、子供の躾は厳しくしなきゃね、という答えが返ってきた。
 どういう意味かは……今のところ深く考えるのはやめておく。
 ――少し時間がかかってもいいわよね。これからは大切な人とずっと一緒なんだし。

 今はただ、陽の降り注ぐアレフガルドを二人、笑いながら歩いている。

 

おしまい

ある遊び人と勇者のお話・完

 

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